◆和装産業について(三)

西陣の現状
[2013年6月]

この 「 こばなし 」 も 【 71回目 】 になりました。 何回となく和装産業、西陣産地の危機をお話してきました。生糸、金糸、箔などの材料、分業ならではの職人仕事、それを支える機材など、今まで以上に多くの分野が危機的状況になっています。

一般的に西陣業界で 「 職人 」 といえば、製織段階における 「 織手 」 を思い浮かべる方も多いでしょう。今までお話ししてきたとおり、西陣を支える職人は 「 織手 」 以外にも各工程に於いて沢山います。実のところ 「 織手 」 よりもコアな工程の職人のほうが危機的状況なのです。
しかし今回は 「 織手 」 にまつわる噂話をお話したいと思います。
何度も言っていますので繰り返しになりますが、西陣に於いて 「 出機 」 と言われる個人業主の織手さんは、親機と言われる 「 織屋 」 と請負契約をしています。出機は親機から材料を受け取り、製織して工賃を受け取ります。親機によって様々な組織、風合い、また織物組織が異なります。出機はその親機の意向に沿って商品を織り上げていきます。 余談ですが、一軒の出機で複数の親機と請負契約をしているところもあります。

ここで、西陣ならではの面白い仕組みをご紹介します。出機は帯を製織する為の道具、つまり機料品を購入するのですが、総ての部品を自分で用意する訳ではありません。帯の意匠や生地風、又柄を織り出す組織はそれぞれの親機 ( 織屋 ) のオリジナルです。 したがって、機料品の中で特殊な部品は親機が提供します。つまり機料品には親機に関係なく使える汎用部品と、親機によって異なる部品があります。西陣にはそういった部品を販売する機料品屋と呼ばれる店が存在します。
出機の織手さんは汎用の部品を購入する為に、上でのべた機料品屋によく出入りします。そこは、西陣の噂の情報交換をする場所でもあります。

さて本題の噂話の件ですが、そのような機料品屋では 「 あそこの親機はよく売れて調子が良いらしい、あそこは出機を削減したいらしい、この夏は大幅な生産調整だ。 」 などのような噂話がつきません。そして最後には 「 汎用の機料品がなくなりますよ。 」 が定番の一言です。 今までは、ある程度の出機が稼働し部品の需要があった為、千円単位の機料品の販売でも機料品屋としての商売が成りたっていました。しかし、ロットの多い細かな部品にいたっては、使用量が減り続け、その部品が欠品した場合、新たなロットで部品を用意するという事は困難です。なぜなら、逆に新たなロットでは大量にあがってくる為、現在稼働している数少ない出機では、それだけの部品を機料品屋が販売しきれず在庫になってしまうからです。
ところがつい先日、今まで「 汎用の機料品がなくなりますよ。 」と言っていた機料品屋が 「 もう大丈夫、全部と言わないが機料品の欠品もそんなに心配しなくてもよいよ。 」 といった話をしていたそうです。 その場にいた人が 「 そんな馬鹿な、つい半年までと話が違う 」 と言うと、 「 予想を大幅に上回る出機の廃業ペースで、確保していた出機の機料品の分だけ大丈夫になった。 」 と言っていたそうです。 噂話なので、話は半分としてもひどい状況です。 ここ十年以上、ずっと減少し続けていた出機の状況が予想を上回るほどの廃業で、より一層の危機的状況におちいり、西陣産地は困惑を深めています。

販売責任
[2014年2月]

先日、百貨店に於いて偽ブランド品が販売される事件が有りました。
百貨店の催事販売で取引業者が販売したのですが、その仕入先は偽物を本物と称して取引業者に販売したそうです。 その仕入先は不特定の業者や個人あるいはインターネットサイトから仕入れ、その際、それぞれの販売者の自己申告である「本物です。」という内容を信用して購入し、それらの商品を本物として催事販売業者に納入していたそうです。

このような場合、どの段階の誰が責任を持てばよいのでしょうか?
消費者は信用のある百貨店で購入したのですから責任ありません。
消費者がインターネット市場などでそのような偽物を購入したのならある程度のリスクがあるかもしれません。しかし、現在のようなネット販売隆盛の時代に於いて消費者が百貨店や対面販売による小売業で商品を購入する理由には、商品の信頼性はもとより販売店や販売員への信用です。
催事業者や納入業者は「偽物とは知りませんでした。私も被害者です。」という立場ですが 所謂、「善意の第三者」として偽物だと知っていたわけではないとの見解で、その是非を立証する事はできません。
メーカーが模造品として作っていたのなら、確実に法律違反になると思われます。似たような商品をメーカーが製造し、流通段階において勝手に本物だと称していたらメーカーの責任も曖昧です。 今回は流通量が多く百貨店に於ける販売という事で表沙汰になりましたが、このような事例は結構あるように思われます。

事実、当社の製品に於いても同じような事例がありました。間違いなく当社の商品ではない商品が「梅垣織物の帯」としてネットに掲載されました。この場合はネットオークションでしたので、西陣織工業組合を通して「本物ですか?」と問い合わせしてもらうと「失礼なことを言わないで。」と立腹されたので、実は組合員からの指摘での問い合わせだと告げると態度が一変し、「私は全く本物だと信じていたし、そのように告げられて購入したものだった。」とのことでした。

消費者が商品を購入する場合に何をよりどころにするのでしょう。 本来は商品そのものの価値であるはずです。ところが嗜好性や趣味性の高い商品、例えば呉服や工芸品のような商品にける使用価値はほぼ同じです。 つまり消費者には判りにくい感覚的な価値によって価格が決定しています。本来、消費者はこの感覚的な価値判断を売り手や販売店に求めます。売り手は自らの専門的知識や経験によって消費者にアドバイスし、また販売店の信用の上に商品を販売します。 しかしながら、昨今のネット市場の様な販売方法や百貨店の催事販売などはメーカーの信用度に大きく依存しているように思われます。そこで上記のような偽物や模造品が販売される事における責任は誰が取ればよいのでしょうか?

京都では昔から「天神さん」「弘法さん」といういわゆるフリーマーケットがあります。 美術品、工芸品、呉服なんでも売っています。この市場では販売責任も製造責任もなく、消費者も自己責任で購入します。消費者が目利きして納得したならそれで良いのです。 百貨店でもフリーマーケットでもネット市場でもそれらの良し悪しを論ずることは出来ません。ただそれらの販売方法によってそれなりの責任が有る筈です。 昨今の食品誤表示にしても普通の食堂なら問題にならなかった筈です。販売方法や販売店によるそれなりの販売責任が有る筈だと思います。


工芸と民芸
[2014年8月]

先日、京都新聞に本金紙、本金箔の重要な工程である 「 目止め 」 「 漆引き 」 の職人さんが引退されることが掲載されていました。

金銀糸は基本的に製品の材料として用いられます。伝統的な製品から現代の製品まで幅広く用いられます。そしてこうした 「 一素材である金銀糸 」 を製作するにも多くの作業工程があり分業化されて成り立っています。そしてこのように分業化された一つの工程でも途絶えてしまえば、素材としての金銀糸はもとよりそれらを素材にした工芸品も制作出来なくなります。 西陣織や京友禅は伝統工芸品と言われます。

京都は江戸時代から政治、文化だけでなく産業都市でもありました。日本中の支配階級や富豪の為の特殊な衣裳や調度品を制作していたのです。京呉服、京料理、京菓子、京人形、京仏壇、京焼、京漆器、など 「 京 」 が付くと上品で高級なイメージがあります。つまり日本で一番上品で高級な商品を製作する産地として京都が存在したのです。 このような 「 京 」 のつく産物は製作に非常に高度な技術を必要としますので、一人の工人によって製作されるものではありません。江戸期以前より専業の職人が細分化された工程においていわゆる 「 職人技 」 を駆使して制作していたのです。限りなく芸術品にちかい実用品が工芸であり、これに対して一般庶民を対象にしたものは民芸品や民具と呼ばれていました。

民芸は一般庶民もしくは中級、下級の支配階級を対象としたものなので、製作に特に芸術的なセンスや技術を必要としません。当然 「 職人技 」 もそれほど必要ではありません。江戸期以前にも勿論特産品は各地にありましたが、その多くは素材を意味し、製作技術を意味したものではなかったのです。結城や牛首紬もその素材に特徴があるのであって織組織はある意味単純なものです。 他産地の追随を許さない上物を生産するための技術とそれを支える専業の職人集団が創りだしたものが京都の工芸なのです。
このような職人集団に支えられた工芸が職人の後継者断絶の危機に直面しています。 この大きな問題の解決策は有るのでしょうか?


呉服販売の難しさ
[2015年2月]

年が明けて呉服販売会が多くなる時節となりました。

私も一月半ばから隔週ぐらいの割合でお手伝いに行っています。 当社の場合は所謂「企画販売」ではないので、「梅垣特集」をして頂けるときに先方からお声がかかればお手伝いに行くというパターンです。
したがって商品構成は先方の意向に沿ってフォーマル、カジュアルの比率を決めます。また、季節やデザインによる特集を組んだりしています。例えば「春の宴」では梅、桜、松の特集であるとか、「琳派」や「蒔絵」や「源氏物語」の特集で商品構成したりします。勿論、販売価格帯も大きな要素です。 私としてはこのような商品構成の打ち合わせを、現場で消費者に販売されている方と直接相談したいのですが、現実には一社、二社の商社が経由となるので「お任せ」になる事が多くなります。
また一般的に「企画販売」をするメーカーは着物、帯、小物総てを取り揃えており、先方の意向は関係なく商品構成がなされていますので打ち合わせの必要も無いようです。 どのようなお客様にどのような商品を販売されるのか判らない状態で商品構成をする訳ですから、当然最大公約数、つまり「売れ筋」を用意することとなります。
この「売れ筋」が問題で世の中自体が二極化して、いわゆる中間層がなくなり、加えて「御道具もの」と言われた留袖、訪問着の需要は極端に減少しています。つまり「無難なモノ」「実績のあるモノ」が実績通りには売れない時代です。だからといって従来の売れ筋が全く売れないのではなく、実績程には売れないだけです。「今までにないもの」「目新しいモノ」などの商材は口当たりは良いのですが本当に消費者に望まれているかというとこれも難しいところです。

呉服業界は本来ゆったりとした商売をしていました。振袖から始まり、道具もの、そしてお客様の好みを把握しつつ商品を提案して二十年、三十年の付き合いから世代を超えて信用を得る。このようなことが本来の呉服小売の形態でした。しかしながら現状というと、振袖以外はヘビーユーザーへの重ね売りがほとんどで、「買いたいけれど前回のローンがまだ始まっていない」なんていう嘘のような話もあります。 本来、顧客が必要なものや欲しいと思う商品をその顧客の購入可能な範囲の価格で提供すれば重ね売りはないはずです。

一方で「こばなし」で何度もお話しているように呉服はほっといて売れてゆく商材ではありません。信頼関係のある小売り屋から自身が欲しいものを進められれば思はず買ってしまう、そんな商材なのです。 お手伝いに伺って実感することは、売れ筋がなくなった現状に於いて商品構成の正解はない事です。産地で評価されない商品が消費者に認められる事があります。「作り手の想いや職人さんの苦労」を聞き入っていただけ、そんな話を聞きたかったとおっしゃるお客様に売れ筋ではない商品を買っていただいたことも結構あります。呉服業界の現状に於いてはメーカーが消費者に直接販売することは不可能であり望む事でもありませが、商品そのものやそれに付随する想いを伝える事は様々な方法で可能であり必要な事だと思われます。 メーカーにとって呉服という正解の無い特殊な商品を販売する難しさを克服するには商品そのものを理解していただく努力しかないようにおもいます。


西陣アンソロジー
[2015年6月]

去る六月一日、二日に京都産業会館九階に於いて「西陣アンソロジー、時代は九寸名古屋帯」という展示会を開催致しました。 これは「きものソーシャルグッド、着物の明日を考える」企画展との共催でしたが、おかげさまで多くのご来場を賜る事ができました。有難うございました。

「西陣アンソロジー」とは、キモノと帯の西陣織メーカー七社による共作活動であり、西陣織伝統技術の継承と次世代和装市場に向けての提案を目的とした集まりです。会員は、今河織物、岡文織物、とみや織物、西陣田中伝、西陣まいづる、秦流舎、梅垣織物の七社で構成されています。 長期低落傾向の和装業界、その中でも分業構造の西陣業界は存亡の危機に面しています。そのような環境の中でメーカーとしてどのような対策がとれるのか、和装業界全体を活性化するためにはどのような解決策が有るのかを七社で話し合ってきました。

しかしながら現実としては同業社の共作としての統一性を見出すことは大変難しく、一年近く何も提案できない状態が続きました。そのような中、小売り段階での消費者との会話に於いて、九寸帯が求められているにも関わらず、求められるような九寸帯が市場において少なく需給ギャップがあるとの共通認識がでてきました。 時代は「買う着物から着るキモノ」という認識は和装業界全体としてあり、リーズナブルで裾野を広げられるようなアイテム、このような事はここ二十年、特にリーマンショック以降は頻繁に提唱されてきました。しかし現実には価格訴求商品が先行しすぎて消費者ニーズとは相違があるように思われます。 高度情報化社会に生きる消費者は多くの知識を持ち、和装に限らず価格が安いから購入するのではなく、気に入った商品を自身が納得するする価格であれば購入されるのです。しかし現状の小売市場ではキモノと帯のセットは勿論小物までのトータルコーディネートが主流、若しくはブランド志向が強く、着物、帯、小物を単独で小売店の個性によって仕入れられている小売店が非常に少ないように思われます。当然、そのような商材の典型である九寸帯は生産者、流通、小売りの都合によって市場から排除され、または価格訴求の要素が非常に強い商材になってしましました。 和装業界を継続し活性化するためには市場の拡大が不可欠です。その為にはフォーマル、カジュアルを問わず本当に消費者ニーズに合った商材が必要だと思われます。

「時代は九寸名古屋帯」という西陣アンソロジーのテーマのもと、生産者から小売業及び流通への提案です。 現実にはこの提案をどのように具体化していくかは多くの問題がありますが、ご来場いただいた小売業者さまの反応は上々だったように思われます。 この提案が業界の活性化の一助のなるよう願っています。


呉服流通の実態
[2016年4月]

呉服業界に於いて三月、四月と言えば一昔前には秋物第一回の展示会の時期でした。
当時は呉服市場も華やかなりし時代であり、メーカー、問屋ともに競って新作を発表して受注を取ったうえで九月からの実需商戦に備えたものです。
春に受注した秋物が収まった夏以降には次回の春物新作に入り次の展示会に備える、こんなリズムでの商売が基本形でした。

それが今や隔世の感あります。季節的な新作物作りは影を潜め、ほとんどがその場しのぎの商売です。商品を作るメーカーも流通業者も半年一年を見据えた商売どころか、今月今日の数字に追われた毎日です。 このような状態の呉服業界に於いては大きなリスクを伴う意欲的なものづくりは大変難しくなります。
勢い回転の良いリスクの少ない商品を扱うことが多くなってしまうのです。
このような傾向は時代の流れとしか言いようがありません。 情報、物流、総てに於いて一昔前には考えられない程に発展をしています。半年、一年を見据えた商売が成り立たないのはなにも呉服業界に限った話ではないのです。

先日、ニュース番組である政治家が言っていたのですが、「今日の社会においては一般的なサラリーマン家庭において専業主婦は成り立たない。世の中が便利になり過ぎて資産家や特殊なキャリヤをもった人以外はその能力に見合うだけの賃金では一家を養えない」のだそうです。 時代の流れには逆らえません。世の中全般と同じように、呉服業界においても何も変化せず三十年前と同じことをしていたのでは会社が社員を養えないのです。
ではどのようにすればよいのでしょうか。 それは時代の波に取り残されない様に対応するしかありません。すべてに先端産業の様な形態を取り入れることは難しくても、出来る範囲で企業努力するしか解決方法は無いと思います。 今日の呉服業界の流通形態は決して情報化時代に即しているとは思われません。 四、五年前までは一昔前の形態で何とか持っていたのですが、ここ一、二年で様変わりしたように思われます。ある意味、呉服業界が世間一般に追いついたのかもしれません。数年後に振り返ってみれば、今日の呉服業界は大きな変革期の真っただ中にいたと認識するような気がします 。

ジレンマ
[2017年11月]

十月、十一月と着物シーズン到来と共に百貨店や小売り屋さんへ展示会のお手伝いに行くことが多くなりました。 呉服の販売に於いては様々な形態が存在しています。百貨店、ナショナルチェーン、ローカルチェーン、家業的小売り屋など既存の店舗販売に加え、近年ではインターネット販売も急速に普及してきました。 様々なビジネスモデルがあり、それに応じた価格が存在します。原則的にメーカーには価格決定権は有りませんので、お手伝いに行ってもその場の価格で対応しなければなりません。

昨今の情報化社会の進歩は目覚ましく、十年程前なら「呉服を購入するような人はパソコンなんか触れない」と言われていましたが、現在では余程のご年配でない限りスマホを持っておられます。そして好むと好まざるにかかわらず膨大な情報を持っておられます。 この情報化社会における呉服業界の立ち位置が難しいのです。 技術の進歩により社会生活は豊かになり便利になります。そしてその現象により衰退して行く部門があるのも事実です。

呉服に限らずどのような商品に於いても生産、流通、小売りの各分野において革命的な変化が起きつつあります。 革新的機能を有する商品であれば、便利になる程需要は増します。しかしながら呉服を含む美術品や工芸品に於いては機能的な進歩など有り得ません。したがって一般商品とは異なった特殊な販売システムが存在できたのです。

しかし現在はそのシステムに情報革命という大波が押し寄せています。 嗜好品である呉服を販売するためには消費者が納得できるサービスが必要であることは事実です。商品説明はもとより消費者の購買意欲を喚起する事象が必要なのです。 それに対する費用が商品に対してどれくらいが適正なのかは誰にも判断できません。 消費者が納得する事だけが答えですが、生産者の立場に立つと商品本体の価値とそれを販売するための経費の価格にジレンマを感じる事が多々あります。

ただ、私のような生産部門の人間が小売り部門にお手伝いに行くと自身の想像以上に間接経費が掛かっていることを目の当たりにします。 ネット販売を主軸としていた小売店が展示会販売に力を入れ始めている状況を考慮すれば 消費者が求めているのが商品そのものであるのか、それに付随するサービスを含めたものなのかを判断することは難しく、また消費者個々の想いも異なる事も事実でしょう。 メーカーとして呉服市場の変化に対応するために販売現場にお手伝いに行くようになりましたが、それによって様々なジレンマを感じる昨今です。


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